好きな器

器が好きです。

 

わが家の食器棚には、作家ものの器と作者不明の器とが平等に並んでいるのですが、

その中で、割と贔屓にしている器があります。

何故かしら・・と少し立ち止まってみると、共通点がみえてきました。

こちらは、

北鎌倉の古道具屋さんで見つけた器。

一客500円の無銘の器でしたが、使い勝手の良いこと。

 

どのようにして生まれた器なのか背景はさっぱり分かりませんが、

 

無銘の強さとでも言いますか・・・

作家の作為が立ち過ぎない器も良いものです。

アイスクリームにフルーツ、

軽い前菜から揚げしんじょの餡かけなどのちょっとしたハレの日料理まで受け止めてくれる器。

そら豆の唐揚げをちょこんと盛った時なんか、可愛かったなぁ(回想・・笑)

ゴージャスな盛り付けには向きませんが、

ポンと乗せるだけで、普段の何気ない料理が映える優秀な器だと思うのです。

ふくよかな生成色の肌も、食材を美味しそうに見せてくれますし、

盛り付けをこちらに任せてくれる、そんな大らかさも気に入っています。

飛松灯器さんのさんのカップも、

イイホシユミコさんの器も、

作家が主張し過ぎない。

使い手に使い方を委ねる余裕すら感じさせる控えめなところに、『洗練』を感じます。

 

主張は強くないけれど、シンプルとは違う。

これ以上はしないんだという見極め、その塩梅が潔くて好きだ。

 

 

自身の設計においても、自分の個性を表現することにはあまり興味がなく、

完成後には、その場から私の残像は消えたほうが良いと思っているくらいなので、

こういった世界観が元々好きなのかもしれませんね。

やりたいものをてんこ盛りにするのではなく、

これはなくても良いと決断するもの設計だと思う。

 

長くなりましたが、

普段、無意識に何気なく好きだな、良いなと思っていることを

意識レベルに持ち上げて考察してみるものも楽しいですね。

 

良い塩梅ってなんでしょうね。

永遠のテーマですが、面白いです。



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